数多あるブログの中から幣サイトを見つけて下さり、ご閲覧頂きまして誠に有難うございます。
福島第一原発の情報誌を作成し、廃炉作業に関わる方々の想いをインタビューし、誌面にしておられる方がいらっしゃいます。
福島第一を撮影し続ける唯一の写真家を取材し、質疑した内容を伝わるようにしたいのだそうですが、方向性としては、廃炉作業はこれからも続きますので、課題をみつめながら写真を撮り続けてゆかれる感じなのだそうです。
本日はそのお仕事に関わる方とお話をさせて頂いて感じたことを綴ります。
難しいテーマですが、阪神大震災、先の東日本震災、チェルノブイリ、水上勉氏の本の文中で「都のために品物を丁寧に扱い、働いてきた。なのに「あんじょうしてや!」と言われる始末。今度は電気売りになった。」(正確な文章は記憶しておりませんが、このような意味の内容がありました。)
確か「若狭物語」の「地場産業のない半島が枇杷売りから、電気売りに変わった。都市へ奉仕する側にあるのに変りはない」と綴ったものを少し文章を変えた表現だったかと記憶しております。
*以下はずいぶん前に筆者があるところで綴った内容です。
最近、いくつかのSNSでお知り合いになって頂いた数名の方々に「東京に来て下さい。」と有難いお誘いを受けます。
お江戸は仕事でしょっちゅう行っていたわりには東京駅八重洲口に着くと、もう何がなんだかわからなくなる!という方向音痴を自負しているので、即タクシーに乗り込みます。
移動手段はできるだけ楽にコンフォタブルにと考えるので、筆者の本拠地の関西では大阪からだと新幹線、神戸からだと飛行機・・・というルートが多かったように思います。
一度、ある撮影スタジオでのお仕事があった折、「そうだ!山手線に乗ってみよう。」と息巻いて挑戦してみたのですが、わけがわからなくなり、途中下車、撤退。
そんな情けない私です。
私は地元関西が大好きで、東京は「仕事に行く所」と思っているので、きっとこの先も住むことはないように思います。
(あくまで地元は関西ですが、ここ10年くらいは仕事の関係で国内のあちこちに住み、引越しを繰り返している状態で、二重生活になることもあります。)
親戚やお友達、知人も多いのですが、私の中ではなぜかこのことだけはゆるぎないものとなっております。
東京ではいろんな場所に行きましたが、仕事上のそれはいろいろとあるものの、ある思い出をここで綴らせて下さい。
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数分間、東京での想い出に旅をし、目の前の本棚と目が合ったのは水上勉氏のある一冊の本でした。
前出のとおり、先の福島の原発問題で、氏は「昔は都のために働いた。ここでとれたものを真っ先に届けていた。心を込めて丁寧にという気持ちに対し、都の人々に「あんじょうしたってや。」と言われる。今度は電気を売ることになった。」というような内容でしたが、なぜか私はその時、都会の生活の中でいつも当たり前にあった日常にはローカルの人々の努力ありきだったことに改めて気づかされ、また複雑な思いを抱えてしまいました。
ある国から来て、東京に住み始めた留学生はこう言ったそうです。
「東京は刺激的なモノであふれている。それらを全て享受することが出来ないのはわかっているが、なぜか自分は貧乏になったような気がしている。」
決して物価が安くもない国から来た若者でさえ、こう言わしめるTOKYOって一体?
また少し昔には「そうはいっても地方出身者ばかりが集まっているんじゃないか!三代続いてこそ生粋の東京人だよ。」というようなくだらないことを言っておられた方もいましたね。
都会生まれ、都会育ちとはいえ、「関西土着民」であることはまぎれもない事実です!といった私は次に訪問する現在の江戸(東京)へ何をみるのでしょうか・・・。
楽しみであり、少しこわい気も致します。
本日もつたない文をお読み頂きまして誠に有難うございました。
皆様、どうかご無事で素敵な1日をお過ごし下さいませ。
現在被災地にいらっしゃる方には一日も早く元の平常の生活に戻られることをお祈り申し上げます。
ボランティアの方々等、出来れば犬や猫他の動物のケアも宜しくお願い申し上げます。