数多あるブログの中から幣サイトを見つけてご閲覧下さいまして誠に有難うございます。
皆様、お元気でらっしゃいますか。
ずいぶんとご無沙汰をしておりました。
私は基本的には目に見えないものは信じていなかったし、これからもそうだろうと思っている。
しかし、愛猫が亡くなった時、不思議な体験をした。
だから動物にだけは神通力みたいなものがあればよいなと、ファンタジー的にニンマリとする。
何の因果か占い屋さんのウェブサイトを作ることになって、まだできたてホヤホヤの時はあるペンネームというのか、ハンドルネームというのかとにかく仮名で何記事か寄稿させて頂いた。
他にも依頼があれば例えば登山用品だの食器だの、日本人にはまだあまり知られていない時計だの、マクロビオテックだの(私は14年前からこのお食事を続けているが、現在は体調によってそれをやめる時期もある)心理学だの、ジャンルを問わず綴ってきた。
占いについてはある場所で元々理数畑の私が関数を用いたものの補完を(こちらでいうところの数秘術ということになるのだろうか)させて頂いたことはあるが、門外漢だから、たまには未知の世界を旅するべく、今日はこの5冊を斜め読み。
アドバイスが出来るなどおこがましいことは思っていないが、何かあれば少しでもよいから相槌くらいは打てるようにしておきたいのだ。
因果といえば因果応報。
この言葉はあるかないかではなく、捉え方次第だな。
私は因果応報という言葉を使わないが、何かいけない考えを押し通した結果はこの人生全てきっちりと返ってはきている。
但し、これは因果応報と言いたければ言えばよいのだが、当たり前のことである。
つまりは「正しいことは正しい。間違っていることは間違っている。」だけのことであり、「ああいうことをすればそりゃあこうなるさ。」を頭でわかっていても(私の場合は根拠のない自信のみで動いていたバカな若い頃)結果が想定内にあるのに無視してしまっただけのことである。(笑)
しかし、自業自得という言葉同様、善行についても使われる因果応報。
いずれにせよ、これからの来し方(こしかた)は善い行いをしてゆきたい。
大したことは出来ないのだが。
そこで、『性善説』と『性悪説』という言葉を思い出した。
この二つの言葉の意味・説明は割愛させて頂くが、お許し頂きたい。
さて、どちらかというと、私達日本人は『性善説』の教えで育ってきている人が大半だとは思うのですが、お子様を育てるとなるとこういったことは意識しておかれたほうがよいですね。
ちなみにアメリカで暮らす人々は『性悪説』を前提に気を抜いてはなりません。
「攻撃は最大の武器なり」といった印象を持ちます。
そんなことをつらつらと考えていたら、知り合いに赤子が誕生したという。
例のどういうわけか私とご縁が出来た占いのお店の占い師さんの女性が母親となったのだそうだ。
『性善説』 と 『性悪説』 そのどちらの教えの選択で教育をされるのはご自由だが、前出で話した 「動物にだけは神通力みたいなものがあればよいな と思う」に付け加えるとすれば「産まれたばかりの赤子にもそのようなものが備わっていたらよいな。」である。
ところで、目に見えないものって、なんなのでしょうね?
皆様が健やかで充実した毎日が過ごせますように。